150人のたよれる人々。
友人がシェアしていた、こんな記事を読みました。
『人間の五感は「オンライン」だけで相手を信頼しないようにできている』
友人は、最近SNSを通してつながることが多くなったけど、信頼ってなんなんだろう、って思っていたとのこと。
この中に、人間は困った時に頼れる人を150人くらいもっていて、それは人間の脳の容量で決まっているんだ、というお話がでてきます。
150人というのは、人が記憶できる顔の数なんだそうです。
それも、自分にとって身体感覚を伴った人の顔。
150人?・・・、多いな、と思いました。
自分にそんなにいるかしら?・・・とも。
まさかの困ったときに頼れる人が150人もいたら、安心できそうですよね。
自分にはそんなにいないなぁ、とやや自嘲気味に思っていましたが、半日もしないうちに、
「そうでもないかも!」
と思えるようなことがありました。
実はちょっと一人でもんもんとしてしまった困りごとを、SNSに投稿したのですが、
共感してくれた友人たちが(これも実際に会っている身体感覚のある友人です)、シェアしてくれたり、メッセージをくれたり・・・
とにかく、私の困りごとに共感してくれたのです。
すごく心強く、頼りになって、私のちょっと重かった心も軽くなりました。
まだ解消にはいたっていませんが、一人ではどうしたらよいかわからなかった現実が動き始めました。
逆説的かもしれませんが、私がSNSを始めたのはこちらにIターンしてきてからで、そうでなければやっていなかったかもしれないと思います。
(インスタくらいはやっていたかな・・・)
SNSはツールの一つとして、
もともとの人間関係があるからこそ、心を寄せて行動をしてくれる方達がいた、ということなんですね。
この記事の中にもありましたが、
都会では人とつきあうことがコストになる、と書かれています。
ちょっと衝撃的ですが、
確かに、都会ではわざわざだれかの手を借りなくても、道が調べられたり、知識が得られてしまいます。
だけど、その分身体感覚を伴った友人は作れず、孤独になっていく・・・。
人口1000人の村にIターンしてきて、
山のことならこの人、薪のことならあの人、味噌のことならあの人・・・って具合に、
だれかしら思い浮かぶ人がいます。
こういうのってありますよね?
都会に住んでいた時は、行政の人の顔は全然わからなかったけど(興味もなかった^^;)、今は誰が何をしてるのかが分かる。
水道のことで困ったら、部署の名前じゃなくて、その人の顔が浮かぶ。
こういうのって面倒なこともあるけど、その分つながりが生まれているんですね^^
これって、すごいことなんじゃないか、って気づきました。
150人になっちゃうんじゃない???
新たないなかの豊かさが見えた気がしました。
そしてね、同じように私もだれかの困ったときに、思い浮かぶような顔になりたい、とも思いました。
ちょっと
「足が痛いな・・・」とか、
「病院いくほどでもないけど、調子がわるいな・・・」とか
「こどもの勉強みてもらいたいな・・・」とか
そんなときに、思い出してもらえる顔になりたいな、と思ったのです。
じぶんも。
今、◯◯屋さん、という肩書きが減っていますよね。なんでもコンビニで手に入っちゃいますから。
いなかはまだ、そういう◯◯屋さんが残っています。そういう暮らしが残っています。
今日、夫が薪ストーブ用のチェーンソーを買いに、佐久の専門店に行ってくれました。
そこはアフターケアも抜群で、すごくよく相談にのってくれて、いい買い物ができたって喜んでいました。
今はネットで何でも売っていて買えるけど、
きっとそういうお店は、お付き合いも続いて、薪ストーブ買うなら・・・って思い浮かぶお店になるんですね。
自分が誰かの頭に残る仕事ができたら、嬉しいですね。
それが十分、自分の生きる意味になります^^